Fiction

[home]

「金閣寺」   三島由紀夫(著)
新潮文庫ほか

 昭和25年,実際に起こった事件を題材に書かれています.本作は三島文学としては最も読まれているものの1つです.
 主人公は「どもり」の男.圧倒的なコンプレックスを持っています.このコンプレックスは彼の「存在」であるように思えます.
 丹後で生まれ育ち,金閣に丁稚奉公.そこで鶴川に出会い,一時は生を肯定するように思いきや,その後,同じくハンディを背負った 柏木に出会ったあたりから,主人公の心理はより内省的なものへと傾倒していきます.
 その内省的な心理状態と,外界の「通常」な行為への間に存在するのが金閣でした.女を抱こうとしてもその行為を目前にして金閣が 現れ,彼をより内省的にしていくのです.言葉をスムーズに話せない(=どもり)のコンプレックスは金閣を通して読者に強く印象付け, 主人公の心理描写に現実性を持たしているように思えます.
 p.243の『金閣を焼かねばならぬ』に到る主人公の心理描写は三島独特の繊細でかつ澄み切った,純朴な日本語で読者を魅了します.  そして同時に,本書は近畿圏に住んでいる方にはさらにオススメします.京都へ一度行ったことのある方にもオススメです.三島 の念入りな下見は,彼の文章を通して,我々読者の脳裏に,厳然として金閣を描かせ,終戦直後の京都を色鮮やかに蘇らせるのです.
 奇才三島が31歳の頃に書いた本書は,告白体の名文に綴った不朽の名作と言えるでしょう.(12/19/2005)

「その日のまえに」   重松清(著)
文藝春秋

 現代作家の中では好きな作家です.本書は単行本にしてはかなりのベストセラーのようです.本書は「別冊文藝春秋」に掲載された 短編を編集したものです.
 重松清の短編はとても洗練されており,伊集院静の作品を好む方には特に推薦できます.重松清の作品には「ビタミンF」や 「流星ワゴン」などの有名なものが数多くありますので,ご存じの方も多いでしょう.
 さて,本題に入りましょう.本書は「身近な死」という少々重いテーマです.この小説は人生を重ね,本当の大人にしか描けないもの です.それだけ作品として完成されています.そして何と言っても彼の作品はとても読みやすい文体です.自然と小説の世界へ入ること ができます.
 筆者が感じたのは本書は巷で噂されている「泣ける」小説ではないということです.つまり,筆者が言いたいのは「泣くため」の小説 ではなく,「身近な死」について静かに考える小説であるということです.本書は「静かな小説」と表現するのがいいかもしれません. 友人や配偶者、そして自分が死の病に冒され,静かに死を迎える.その描写が素晴らしく,筆者が本稿で紹介するにいたった根拠です.
 そして,これら7編の短編は最後に1つにまとまります.これは読んでからのお楽しみとしましょうか...
 病気で亡くした彼女が亡くなる3ケ月前から亡くなる日と,亡くした後の,筆者の心理と照らし合わせて読みました.あの頃も本書 と同じように静かに死に向き合った自分を思い出して。(12/10/2005)

「裸の王様,パニック」ほか2篇   開高健(著)
新潮文庫

 筆者が開高健と最初に出会い,かつ彼の作品の中で最も愛するのが本書です.それぞれの概略を記しておきましょう.
 「パニック」は一人の町役人が権力や世間によって振り回され,苦悶苦闘している様子をネズミの大量発生を通して描いた作品. 本作品は安部公房の文章に似ている部分もあり,実際には起こりえる可能性が少ないものを事象として取り上げることにより, まるで現実に起こるかのような不安に駆り立てる作品です.
 「裸の王様」は絵の具屋社長の一人息子を画塾を経営する一人の画家が指導を引き受けることにより,画家が教育に対して抱いている 理想がこの社長により,破壊されてゆく様を描いています.ただ,この作品が「パニック」と異なるのは,主人公の画家が子供の心の 鍵を開き,自由に絵を描かせることによって,その理想を追求し,彼のうまい策略によって周囲の権力を持つ画家たちを沈黙させる点です.
 「流亡者」は戦国時代末期から秦の始皇帝圧政下に移行する様子を西域の一市民の観点から描いた作品です.このころの市民がいかに時代に 翻弄され,かつ圧政に苦しんでいたかが,作者の精緻な心理描写や風景描写によって,手に取るようにイメージできる作品です.
 本書は半世紀ほど前に書かれたにも関わらず,非常に読みやすい文体で書かれています.一気に読める作品ばかりです.通勤通学時間 のお供に如何でしょうか.ただし扱っている内容は決して簡単なものではありません.それぞれの作品の主題は何か,と考えなから読まれる と良いかもしれません.

「檸檬」ほか   梶井基次郎(著)
新潮文庫

 作者は31年という非常に短い生涯を送りましたが,その特徴的な作風は大変魅力的です.高校の現代文で「檸檬」をやり,実力試験 で「愛撫」が取り上げられました.特に筆者の印象に残るのは「愛撫」です.実力試験終了後,友人とそのことで盛り上がったのだすが, 皆口を揃えて続きが読みたいと言っていたのが記憶に残っています.小説というよりも長編散文詩的な作風と,『猫の耳という ものはまことに可笑しなものである。薄べったくて…』で始まるその不思議な雰囲気に魅了されます.
 作者のような散文詩的文体でかつ読者の『精神』に響く作風では,長編小説を書くことは不可能だったのかもしれません.しかし, テンポのよい美しい日本語は作者独特です.少々病的な主人公が多いのですが,人間的に多感な時期に書かれていたこともあり, 若い方に是非読んで頂きたいと思う作品です.繰り返し読むとさらに違う視点から作品を眺めることができます.


「海と毒薬」   遠藤周作(著)
新潮文庫ほか

 太平洋戦争中に九州の大学付属病院で米軍捕虜への生体実験が行われた事件をモチーフにした作品です.本書はその 事件に至る関係者の葛藤とその事件の一部始終を淡々と語る形で構成されています.
 本書で主眼におかれているのは,この「実験」に関わった二人の医学研究生と,一人の看護婦です.実験は特に前者二人の 目を通して描かれています.医学生はそれぞれ違う視点を持っており,一方は良心の呵責に心を奪われ,罪の意識に苦しみ ますが,もう一方は現代的に言えばドライな考え方で,良心の呵責というものを持っていません.ここに戦争が人間を,そして 医学をも狂わせてしまうという一面を垣間見ることができます.
 重ねて本書は権力というものが,いかにそれを持たぬ者に対して重くのしかかるのかを示しているように思います.理不尽な 要求に対して,生きていくためにNOと言えない人々...何か現代の日本社会を映しているかのようにも思えます.
 「沈黙」と同様に遠藤周作の代表作で,国際的にも高い評価を受けている作品です.人間の良心とは何か,そして罪の意識 とは何かを問いかけます.重く深い一冊です.筆者イチオシ!!

「塩狩峠」   三浦綾子(著)
新潮文庫

 筆者が中学生のころ出会い,読書中毒になる切っ掛けになった一冊です.著者がキリスト教徒のため,キリスト教に傾倒した 内容になっていますが,それを加味しても,内容としては素晴らしいものです.
 小説の主人公永野信夫は別名で実在した人物で,本作品は実話に基づいて書かれています.信夫の幼少時代から,自ら身を 投じて乗客を救い,一生を終わるまで,彼の人生が描かれています.
 士族の出身として厳格な祖母に育てられた信夫は,実母との突然の出逢い,祖母の突然の死によって,生と死について考える ようになります.その後,吉川という友人と出会い,彼が一生の友となるのですが,このように一生の友となる人が筆者には何人 いるか,そして本当に親友と呼べるのか,いつも考えさせられます.信夫は実母がキリスト教信者であることを知り,反感し,葛藤 します.私たちが受け入れがたいものを目前にしたときの葛藤が著者の精緻な描写によって改めて自覚させられます.
 そして信夫は北海道に渡り,国鉄職員として働くのですが,上司の娘を嫁にもらわず、あえて足が不自由な吉川の妹と結納するのです. 一般人であれば,結核と脊椎カリエスを併発している患者を嫁にすることがあるでしょうか?決してないでしょう.それは私たちが 無意識のうちに自分本位で,ある意味利己的に生きている証拠なのではないでしょうか.
 本書の後半には三堀という人物が登場します.何かにつけて信夫の言葉を逆手にとり,反感を持つ人間像です.ともすれば三堀は 私たち自身なのかもしれません.素直になれない人間像を三堀に描写することによって,それがいかに浅はかであるかを,作者は 示したかったのかもしれません.
 結納のため札幌に向かった信夫の乗った列車が,塩狩峠の頂上にさしかかったとき,突然客車が離れ,暴走しはじめます.そのとき 信夫はハンドブレーキに手をかけ,止めようとしますが,止まらず,信夫は自ら身を投じてストッパーの役割を果たしました. 歴史に残らない偉人もたくさんいるものであると思うと共に,本書を読み直すといつも涙を流す筆者です.読者の方が人生とは何かを 考えることがあるなら,是非本書を一読ください.このような生き方も幸せなのではないでしょうか.

 

「風たちぬ」    堀辰雄(著)
新潮文庫ほか,各種書店から発売

 表題作は文学史でも扱われるほどの名作です.主人公「私」を軸にした主観的小説で,著者の精緻な情景描写と愛する人が徐々に 息絶えてゆくことにおける葛藤を見事に表現しています.
 本作品は死の病(=結核)にかかり,「普通の人々がもう行き止まりだと信じているところ」で「真の婚約の主題,即ち二人の人間 がその余りにも短い一生の間をどれだけお互いに幸福にさせあえるか」という切実な問題を主題として追求してるように思えます. 愛する人が死の病に犯されていると分かったとき,読者の方はその大切な人に対し,その死の瞬間を迎えるまで,どのように向き合って いこうと思われるでしょうか.
 筆者には高校時代に白血病の彼女がいました.いまこの書籍の紹介を書いている日で,亡くなって5年になります.中学時代に読了した 本作品を,5年という節目の年に読み返そうと思いました.
 この「風たちぬ」は筆者である堀辰雄の実体験にほぼ即して書かれたものです.愛する人を亡くし,そのすさまじいほどの空虚感に苛まれる 主人公の心的描写が,彼の精緻な表現によって読者の心底まで入り込むことでしょう.登場人物の節子も,名前こそ違いますが,堀の愛人 です.日記調に淡々と綴られていながらも,心に深く染み入る名作です.特に高校〜20代の方にお薦めできます.

「山月記・李陵」(他9篇)    中島 敦(著)
岩波文庫(緑)

 筆者が最も好きな小説家の1人.漢文書き下し調の文体が快く感じる,端麗な文章で,筆者を魅了してやみません.特に「李陵」 の冒頭部分と,「山月記」の冒頭部分に惚れ込み,この2篇は諳んじることが現在でもできます.各篇は短編もしくは中編に属する ものであるのも関わらず,様々な示唆に富み,深遠なテーマを扱っています.
 我々が歴史上知ることのできない,主人公に焦点を当て,主人公の苦悩を,漢文書き下し調の軽快な文体によって,言い換えれば, 小川のせせらぎのような文章によって,読者に訴えます.中島敦は若くして33歳でこの世を去っています.本当に惜しいです.
 では,筆者にとっては全てを紹介したいのですが,特に推薦するものを挙げておきます.
 @李陵 中国漢時代の武将李陵と,司馬遷に焦点を当てたもの.僻地にて背国を犯した李陵の心情描写と,武帝の理不尽な 判断により宦官となった司馬遷の苦悩 が彼独特の文章によって端麗に表現されています.あらずじを書いてしまうと深みにはまりそうなので,このへんにさせていただきます.
 A山月記 唐・李景亮撰と題する「人虎伝」を題材にした作品.李徴は科挙に合格するほどの秀才でしたが,人との交わり を避け,詩の制作の没頭し,ある日突然虎になってしまいます.その後については本書でご確認下さい.本篇は多数の高校現代国語教科書で 採用されています.筆者が中島敦を知る切っ掛けになりました.
 B環礁 著者がミクロネシアの役人であった時代の随筆.筆者を含めた一般人にとっては,中島の私生活を垣間見ることので きる唯一の作品.上記@Aに比べ,格段に文章が軟らかいので,筆者は作品としての評価をあまりしていません.
 その他,どれも素晴らしい小説です.700円少しで,このような名著に出会うことができます.映画などのビジュアルも大切ですが,今回 は中島敦の文学に触れてみてはいかがですか?

「飢餓同盟」   安部公房(著)
新潮社

 場所は花園.温泉が枯れてしまい,唯一の観光資源をなくしたこの町は眠った魚のように沈んでいた. 疎外されたよそ者たちは花井を中心に「ひもじい同盟」を結成し,町長である多良根や開業医でボスの藤野への対抗を目指します.
 花井が「ひもじい同盟」を本格的に始動させたのは秩父研究所から逃げ出した地下探査技師である織木が,命からがら花園へ逃げ帰った, という噂を聞きつけたからでした.「ひもじい同盟」は「飢餓同盟」と改称し,その経済的資源を地熱発電開発に求めました.しかし,花井が自己中心的であり, 仲間を信用せず,有頂天になったことから,次第に仲間に裏切られてしまい,最後には地熱発電の権利さえを多良根や藤野に奪われてしまいます.
 現代の自己中心的思考と機械化された人間,組織運営の難しさと既存権力打開の困難さが,安部公房の鋭い文章によって恐ろしいまでに描かれています.

「天平の甍」   井上靖(著)
新潮社

 井上靖氏は筆者にとって司馬遼太郎氏,吉川英治氏とならび重要な歴史小説家の一人です.物語は第9遣唐使と共に渡唐した留学僧 普照,栄叡,戒融,玄朗と中心に,唐の高名な僧,鑑真和上を渡日する過程を描いています.戒融,玄朗は残りの2人と分かれ,彼ら独自 の人生を歩みます.栄叡の不屈の精神で鑑真和上を渡日へと導こうとしますが,栄叡は2度目の渡日が失敗して暫く後に病死し,普照は 葛藤の後,第9遣唐使から数えて20年後の第10遣唐使に鑑真和上とその徒弟を乗せ,渡日を実現したのでした.
 鑑真来朝という日本古代史上大きな事実と共に,極限に挑み,木の葉のように翻弄される僧たちの運命を井上靖の淡々とした文章が 1000年以上昔の大河ドラマへと私たちをいざないます.今の仏教の基礎を伝えた彼らの功績は計り知れません.鑑真の凛とした雰囲気, 渡日への使命感を感じることができるとともに,歴史教科書には現れることのない陰の立て役者たちの働きが心に染みる作品です. 盲目になりながらも渡日への決心が揺るがなかった鑑真和上,それに付き従った弟子たち...命の保証がないあの時代に何度も失敗した にも関わらず,望みを捨てなかった彼ら...
 7年ぶりに再読しましたが,やはり本書は素晴らしい.

「水中都市/デンドロカカリヤ」   安部公房(著)
新潮社

 表題作2編を含む計11編の短編集です.本書は安部文学の初期短編が収められており,著者が若い頃から「安部ワールド」を形成して いたことがよく分かる作品集です.ここでは表題2作と筆者の独断で選んだ1編を紹介しましょう.
 (1)『水中都市』
 主人公と間木という友人は製薬会社の同僚で,間木は絵描きのような仕事をしています.間木と主人公は飲み屋だけの関係ですが,ふとした ことから間木と主人公はそこそこの仲になります.そしてあるとき,間木が「勤めている工場を絵に描いてみた」といい,主人公に評価を仰ぎ ます.しかしそれは評価できるような代物ではありませんでした.このあたりから話が急展開を迎え,アパートに帰った主人公は「父親」と名乗る 男性に部屋に入り込まれ,その父親は彼の目の前で魚に変身します...ここからは本書をお読み下さい.カフカとはひと味違った内容です.
 (2)『デンドロカカリヤ』
 不思議な内容です.コモン君の話を第三者に伝えるという形で話は進められます.コモン君は発作を起こすと植物になるという奇妙な病気 にかかっており,緑化週間の名の下に植物園に引き取られ,「あまり見栄えのしない樹」になってしまいます.非常に論理的でありながらも, どこか非常に不合理な病気に苛まれながら,同様に非常に合理的説明をしながらどこか不合理である植物園...寓意とユーモアにあふれる文体 の中に人間存在の不安感を助長する内容です.
 (3)『飢えた皮膚』
 主人公の非情と言えるまでの復讐.ブルジョワ女性に向けられたその恨みは入念に考え抜かれた「皮膚が変わる病」という病気を作りあげ, 彼女に信用させ,麻薬を投与することから始まります.そして墜ちてゆく女性を快楽の道具として扱う主人公.一瞬目を塞ぎたくなる内容です が,どこか現実にありそうな,恐怖感を覚えます.そして,最後は彼女の財産は全て彼に渡り,復讐は完了するのです.
 −−−−−−−−−−
 どの短編も読み応えがあり,読了後,現実への不安感に駆られる内容です.

「無関係な死/時の崖」   安部公房(著)
新潮社

 表題作2編を含む計10編の短編集です.安部公房の作品は難解だという指摘がありますが,筆者自身は難解であるからこそ,言外の意味 をくみ取り,自分自身の力で考えることで自分なりの結論を得るのが好きですので,難解であるからといって安部のことを食わず嫌いして 欲しくありません.本書はまさに安部ワールドがにじみ出ています.さすが海外で高い評価を受けていることもあり,いわゆるハズレがあ りません.本書の中で印象に残ったものをいくつか紹介しましょう.
 (1)『無関係な死』
 主人公が帰宅したとき,見ず知らずの男が死んでいた...読者の方であればどうするでしょうか.ただ呆然とし,事情を把握することが できないでしょう.そして自分の身の潔白を証明するためにいろいろ考えるのではないでしょうか.本書も主人公はそのように考え,証明 しようとするのですが,すべての行いが裏目裏目にでてしまいます.表面上冷静を装い,内面では焦っている.このような心理描写が彼の 芸術的な文章によって表現されている作品です.
 (2)『時の崖』
 試合中のボクサーの意識の流れを,映画的な手法で描いた作品です.勝たなければランク落ち.しかし追い込まれると心が動揺し,勝利 へのこだわりがむしばまれる.主人公の葛藤が主観的に表現されています.
 (3)『なわ』
 この作品はまさしく安部ワールドを象徴するかのような作品です.不思議な条件描写ですが,そこには実在しそうな恐怖感と畏怖感を 覚えます.スクラップ場で繰り広げられる少年少女が繰り広げる「子犬の死」の儀式のような行い...そして非情なまでの少女たち... 縄を用い,簡単に子犬を殺す非情さは現代日本人の内面に存在するのではないでしょうか.少女たちは最後に父親を殺してしまいますが, そこには一瞬たりとも戸惑いをくみ取れるものがありませんでした.昨今の少年少女,または大人たちが起こす不可解な事件ももしかした らこのような非情な発想で行われているのかもしれません.とても昭和30年代に書かれたものと思わせるような内容ではありません.
 本書は彼の代表作「砂の女」「他人の顔」と平行して書かれたものです.常に前衛的命題に取り組み,未知の小説世界を構築しようと した作者の意気込みが感じられます.
 

「密会」   安部公房(著)
新潮社

 ある夏の未明,突然やってきた救急車が妻を連れ去られます.男は妻を捜して病院へたどり着きますが,彼の行動は逐一盗聴マイク によって監視されているのです...
 安部公房の作品の中でも群を抜いて読者を絶望の彼方へ連れ去ります.安部公房入門としては推薦できませんが,他の作品を読まれた 方は是非チャレンジしていただきたい作品です.とにかく安部公房の作品はどこか非現実的でありながら現実に起こりそうな恐怖感と 絶望感を読者に与えます.作者自身が医師免許を取得していることが,病院という閉鎖空間を以てリアルさを増し,現実に存在しているかの ような病名,人造人間を作り出し,私たちをSFにも帰着できぬ不可思議な空間へと誘うのです.
 本作は妻を誘拐された男が盗聴テープを解析し,それをノートにまとめるということを通して構成されています.私のことを男と呼び, 副院長のことを馬と記述する−−−これだけにおいても,何とも不思議な感情を抱きますが,後者の呼び方がされる理由は3冊のノート を順に読み進めることで明らかになります
 病院という閉鎖空間の中で渦巻く肉欲を忠実に守る病院の人々.一見空想の域を超えないように思いがちですが,現実の日本はどうなので しょうか.本作品中で馬人間が男に向けて言い放った言葉に「いつになったら健康の醜さを理解できるようになるんだね.動物の歴史が進化 の歴史だったとすれば,人間の歴史は逆進化の歴史なんだよ.怪物万歳さ.怪物というのは偉大な弱者の化身なんだ」というものがありました. 現在の日本はこのような怪物が,特に性活動という面ではびこり,耳のうしろにこびりつき,浮き上がった垢のようになって激然と存在 しているように思えてなりません.色欲地獄になりつつある日本に警鐘を鳴らしているように思えてなりません.

「走れメロス」  太宰治(著)
新潮社

 日本人としては是非とも一読しておかなければならない表題作を含む全9編の短編集です.「走れメロス」は中学3年国語 の教科書にも採用されています.「走れメロス」は太宰の著作の中ではとても珍しい『喜劇』です.悪を卑下し,名誉のために一途に 生き,友人を信じ愛するメロスに共感します.もちろん筆者は何度も読み返したのですが,その時々の気分,年齢によって捉えるものが 変わります.これは太宰の著作すべてにおける共通点です.
 本短編集は太宰治を読み始める方には最適の本と言えます.太宰の著作を読む場合,太宰の人生をある程度理解しておく必要がある からです.本書の読み方は,まず巻末の年譜に目を通したあと,自叙伝的小説『東京八景』と彼の故郷に関して書かれている 『帰去来』,『故郷』を順に読みます.それによって,表面的にではありますが,彼の人生観を理解することができます.その上で他の 作品を読むと,より読者に迫ってくるものが多く感ぜられることでしょう.また本作品集は太宰の代表作が数多く収録されており,420円 という金額がもったいないほどです.
 筆者は特に『走れメロス』の他に,『ダス・ゲマイネ』『駆込み訴え』を推薦します.前者は昭和10年10月号の「文藝春秋」に発表され ました.高見順,外村繁,衣巻省三,太宰治の4人の新進作家が文藝春秋から依頼され,競作の形で発表したものです.ダス・ゲマイネ (Das Gemeine)とはドイツ語で通俗性,卑属性の意味で,これを意識して読むと各節毎に主人公(私)が変わっているのも理解しやすいでしょう. この作品について太宰自身はケーベルの『シルレル論』を読み,「人の性よりしてダス。ゲマイネを駆逐し,ウール・シュタンド (本然の状態)に帰せられた」とし,彼の作品『もの思う葦』の中で「この想念のかなしさが私の頭の一隅(いちぐう)にこびりついて離れなかった」 と述べています.しかし,一説によると,『ダス・ゲマイネ』とは津軽言葉の「ん・だすけ・まいね」(それだからだめなんだ)をもじったとも 言われています.後者は太宰の天才的とも言える文才性が遺憾なく発揮されていると思われます.ここに登場する私とは誰か.それは徐々に 明らかにされていき,最後に聖書に登場するイスカリオテのユダだと分かるのです.ユダのイエスを裏切る際の,壮絶な葛藤が太宰の天才的な 描写によって痛々しいほどに,そしてある意味気持ちが良いほど壮快に描写されています.この描写法は彼の別作『猿ヶ島』にも見られます.
 本書はレンタルビデオ1本分程度の料金で購入できます.今宵はレンタルビデオ鑑賞ではなく,太宰鑑賞はいかがですか?

「沈黙」  遠藤周作(著)
新潮社

 本書は中学,高校,大学を通して何度も読み返しました.「沈黙」とは?−−本書では「神の沈黙」を示唆しています.
本書は主人公の名前変更があるものの,おおよそ史実に基づいて書かれた「大河小説」といって良いものです.しかし,扱う内容が 重く,私たちの精神生活に大きく影響を及ぼすものであると思われます.
島原の乱が鎮圧されて間もないころ,キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル司祭セバンチェス=ロドリゴと,同じく 司祭のガルペは,日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し,前者は背教の淵にたたされ, 後者は殉教を遂げた...
拷問といっても私たちには想像だにしないものです.キリスト者たちは十字架にくくりつけられ,満潮になると頭に水面が到達する ように海の中に立たされ,じっくりと殺されるか,穴吊りという方法を用いて耳に穴を開けられ,肥が入っている穴に逆さ吊りにされて じっくり殺されるのです.しかし,それでも背教をしなかった日本人信徒を目の前にセバンチェス=ロドリゴは悩みます.極限の状況下 における葛藤が遠藤周作の精微な文体でまざまざと表現されています.
 牢に入れられたロドリゴが穴吊りという残忍極まりない刑を受け,いびきに似たうめき声を聞きながら,「何故このようなときに神は 沈黙しておられるのか」と呟きます.とても思い言葉です.そして,それでも神は沈黙を続けられ,ロドリゴが踏み絵に足を乗せたとき, イエスの言葉が聞こえてきます.
『司祭は足をあげた.足に鈍い重い痛みを感じた.それは形だけのことではなかった.自分は今,自分の生涯の中で最も美しいと思って きたもの,最も聖らかと信じたもの,最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む.この足の痛み.そのとき,踏むがいいと銅板のあの人 は司祭にむかって言った.踏むがいい.お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている.踏むがいい.私はお前たちに踏まれるため, この世に生まれ,お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ』
この部分は暗唱しています.ロドリゴが受けたこの言葉は私たちに多くの示唆を与えてくれているのではないでしょうか.
また,キチジローという日本人が登場します.私にはこのキチジローが人間の醜さの象徴であるような気がします.私たちはともすれば 知らぬところで私利私欲のために友人を裏切り,平気で人との約束をやぶり,人を陥れたり,調子のいいことばかりを言って得意がっている のではないでしょうか.
本書を通じて筆者が私たち日本人に語りかけたかったものは何なのか?それを意識してお読みください.本書は後世に語り継がれるべき 名作であると思います.
[PR] 94.5円で広告無しサーバー  [PR] ◆日本最大級のメル友案内サイト  [忍] カウンタの無料レンタル